広島地方裁判所呉支部 昭和33年(ワ)116号 判決 1961年4月08日
原告 東喜市
右訴訟代理人弁護士 原田香留夫
被告 国家公務員共済組合連合会
右代表者理事長 今井一男
右訴訟代理人弁護士 桑原五郎
主文
被告は原告に対し金三〇三、〇〇〇円、及びこれに対する昭和三三年七月四日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分しその二を原告の、その余を被告の負担とする。
この判決は、原告において金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一、原告がかねて左側大腿部に覚えていた軽い神経痛様の疼痛のため昭和三〇年六月二一日被告が経営する呉共済病院に診療を求めたこと、訴外三宅俊三及び京楽康子が当時同病院外科に勤務していた医師及び看護婦であつたこと、同日同医師は原告を診察の上京楽看護婦にイルガピリン注射薬五C・Cを原告に注射するよう命じ、同看護婦が原告にイルガピリン注射薬五C・Cを注射したこと、はいずれも当事者間に争いがない。
しかして成立に争いのない甲第二号証の一、二及び証人三宅俊三、同京楽康子、同東正喜の各証言並びに原告本人尋問及び鑑定人伊藤鉄夫の鑑定の結果によると、原告は京楽看護婦よりその左臀部に右注射を受けた直後その左下肢の自由が効かなくなり、挙げようとしても挙げることができず、隣室にも看護婦に支えられて行かねばならぬ程歩行困難な状態になつたこと、注射後約二時間を経た頃から左下肢が刃物で切られるように激しく痛み始め、その後約四ヶ月間はこの激痛が軽減することなく続いたため当初は同病院に通院し同年八月二三日からはこれに入院して治療を受けるとともに(この点当事者間に争いがない。昭和三三年一一月頃退院)P・L教団に入信し、信仰に救いを求めた程であつたこと、時日の経過により痛みは次第に消失したが、冬季、朝夕、天候不順な時には尚疼痛を覚え、現在左下肢は右下肢に比べて細く、左足関節以下を自由に動かすことができないので跛をひいていること、原告の現在症として左下腿の総腓骨神経痳痺のため、該神経の支配を受ける左足関節背屈筋群(前脛骨筋、長母指伸筋及び長指伸筋)が痳痺して萎縮し、これがため足関節の自動的背屈ができず、左下腿外側から足背側に亘つて帯状の知覚鈍麻領域があることが認められる。
つぎに右鑑定人の鑑定の結果によれば、イルガピリン注射薬の副作用について、これを末梢神経繊維束内に直接注入すると激痛を伴い神経組織の壊死を来し、又神経繊維束周辺に注入した場合でも薬液が神経組織に浸潤してこれを障害することがあることが認められる。
しかして以上認定の原告の症状の経過及びイルガピリン注射薬の作用と、右鑑定人の鑑定の結果を総合すると原告の左下腿の総腓骨神経痳痺は本件注射がその主要原因であり痳痺部位が坐骨神経の一部を構成する総腓骨神経に限局されていること、激痛が注射後約二時間を経ておとずれたこと等の事実から薬液が直接坐骨神経内に注入されたものではなくて、その周辺に注入されこれが右神経内に浸潤して総腓骨神経を冒し、痳痺を招くに至つたものと推認され、右認定を覆えすに足る証拠はない。
二、そこで過失の点について判断する。
イルガピリン注射薬が神経組織に浸潤すれば傷害の結果を発生する危険のあることは前示認定のとおりであり伊藤鑑定人の鑑定の結果及び成立に争いのない甲第五乃至第七号証(イルガピリンの用法等を書いてある説明書広告)によれば右副作用を防止する最も有効な方法は注意深く注射部位を選定して慎重に薬液を注入することであり、具体的には臀部上外方四分の一区域内に注射針を刺入し、針の尖端が皮下脂肪層をさけて正確に筋肉内にあるように深さを加減すること、針の方向は腹臥位で鉛直とし内側に向けることは絶対に避け血管内に注入されないように注意しつつ、普通の筋肉注射よりも更に緩徐に注入すること、できる限り患者を腹臥させ筋肉を弛緩せしめて注射し、電撃痛を訴えた場合は勿論臀筋表面に搦を認めたときも一旦針を抜いて位置を改めること、等の方法を採れば坐骨神経繊維束乃至その周辺に薬液が注入される危険が避け得られ、神経痳痺の結果の発生を防止し得ることが認められる。従つて医師或は看護婦がイルガピリン注射を施用するにあたつては、右薬液の作用を充分認識し右のような方法を厳守して慎重に行うべき注意義務があり、又医師が看護婦をして右注射をなさしめるにあたつても右のような方法を厳守するよう充分注意を喚起しておく義務があるものといわねばならない。
ところで京楽看護婦が原告の左臀部に注射したイルガピリン注射薬五C・Cが坐骨神経の周辺に注入せられたこと、及び注射に際し前記の如き技術上の注射事項を厳守して慎重になせば薬液を坐骨神経の周辺に注入する危険は避け得ることは前示認定のとおりである。しからば他に特段の事情の認められない本件においては京楽看護婦が本件注射に際し所要の注意事項を厳守しなかつた過失があるものと推認すべきである。
しからば本件は少くとも京楽看護婦の不法行為に該当するものと断ずべきである。(後記の通りこれのみで被告の責任が認められるので三宅医師の過失の有無についてはふれないこととする。)
三、そこで被告の責任について判断する。
原告は被告に対し所謂使用者責任を追求するに対し被告は医師、看護婦その他の従業者に対する監督は専ら監理者たる笠潤一郎院長において行い、開設者たる被告にその監督責任はなく、又医師看護婦の行う医療行為についてはその性質上他人の指示を許さないという理由からこれを争うので按ずるに、医療法は病院開設者が医師の資格を有しない場合には医師をして病院を管理せしめることを命じ管理者は病院に勤務する医師、看護婦、その他の従業者を監督すべきことを定めているが(同法第一〇条、第一五条)右規定は凡そ医療業務が高度の専門的知識と技術、経験を必要とするものであることからかかる専門的能力を有しない者には医療業務を主として行う病院の管理及び従業者の監督に万全を期待することが困難であることを慮り、医師の資格のない開設者には医師をして自己に代つて病院を管理させ、従業者に対し専門的見地からその業務遂行に欠けるところがないよう適切な注意をなさしめ、もつて使用者たる開設者の監督義務の履行に遺憾なきを期せしめる趣旨のものと解すべきであつて同規定が開設者の監督責任を排除しているものとは到底解せられないし、又、右医療業務の特質に鑑み、医師及び医師の命によつて行う看護婦の行う医療行為について、当該診療に関与しない医師、まして医師たる資格を有しない者が治療方針の指示を与えることは許されないものといわねばならないが、それ故に、医師、看護婦のなす医療行為については、病院開設者乃至その管理者に監督責任がないとはいいえないのであつて、同人等は夫々の立場において医師、看護婦を選任(雇傭)するにあたりその業務を適正に遂行しうる人格、識見、技能を有するかどうかを充分に考慮すべきは勿論、業務に従事せしめるにあたつても、右の点ほか日常の勤務の態度、成績等の全般を通じ、業務遂行に適確な素質、能力を有するか否か、誠実且慎重に職務に尽しているか否かを監督し、又医療業務について必要な知識、技能を修得、練磨する機会を与えて素質の向上を計る等、医療行為の分野に立入らなくとも間接に医師、看護婦に該業務を適正、且慎重に行わしむべきことにつき採るべき手段方法があるわけである。従つて使用者責任の規定は本件のような場合被告に適用があるものというべきである。被告は三宅医師、京楽看護婦を選任し、監督するに相当の注意をしていると主張しているが被告の立証によるもこの事実を認めうる適確な証拠はない。
さすれば被告には京楽看護婦の使用者として同人が被告の事業である本件医療行為を行うにあたり、不法行為により原告に加えた損害を賠償すべき義務があるわけである。
四、そこで原告の蒙つた損害額について判断する。
(一)証人東正喜の証言及び原告本人尋問の結果によると、原告は本件注射を受けた昭和三〇年六月二一日当時比較的健康であり、呉市の失業対策事業に人夫として従事し一ヶ月平均二五日働くことができ一日金二九〇円即ち一ヶ月平均七、二五〇円の賃金を得ていたことが認められる。原告はその他単独で畑一反を耕作し一ヶ月平均金三、〇〇〇円の収益があつた旨主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に沿う部分があるが、収益の具体的根拠が不明であり、又前認定の如く月間二五日を失対人夫として働いていた原告が単独労務により右金額相当の収穫を挙げうるかどうかの点についても疑わしいので右供述はにわかに措信できず他に右主張を認めるに足る証拠はない。次に原告が昭和三〇年六月二一日、京楽看護婦より受けた注射により激痛を伴う左下肢の神経痳痺障害を受けたことは前示認定のとおりであり、同年八月二三日から昭和三三年六月二一日まで入院していたことは当事者間に争いがない。しからばこの間原告は全く働くことが出来なかつたものと推認せられる。
従つて原告はこの間三六ヶ月間に得べかりし前記賃金収入の合計金二六一、〇〇〇円の収益を得られなかつたことになる。
(二)原告は右認定の入院期間中療養のための必要費として一ヶ月金三、〇〇〇円を支出したと主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に沿う部分があるが、支出の内容の明細は全く不明であるから右供述はにわかに措信し難く、他に右主張を認めるに足る証拠はない。
(三)しかして右(一)収入から原告のいう控除額金一〇八、〇〇〇円を差引くと残が金一五三、〇〇〇円となることは明白である。
(四)次に原告は得べかりし利益のうち本件傷害による喪失分を請求するのでこの点について判断する。
原告本人尋問の結果及び伊藤鑑定人の鑑定の結果によると原告は明治二二年一一月二八日生れで本件事故発生の頃既に変形背椎症に原因する坐骨神経痛に罹患していた事実が認められ又当時一ヶ月平均金七二五〇円の収入を得ていたことは前示認定のとおりである。しかして昭和三三年六月二二日当時の原告の余命が九、五三年であることは当裁判所に顕著な事実である。しかし、凡そ老年期における人の身体は衰微の一途を辿ること及び全生存期間を通じ筋肉労働が可能ではないことは経験則上明らかである。以上を綜合するとき右始期において既に満六八年七月の高齢で、しかも前示宿痾があり主として筋肉労働に従つていると認められる原告が原告主張の期間中事故発生当時と同程度の労働力を維持しえたものとは到底認められない。
又原告の蒙つた傷害の程度については前示認定のとおりであるからこれにより相当程度その労働力が減少したことは窺知しうるのであるが、減少の割合が原告主張の三分の二と認める丈の証拠もない。
右の次第で昭和三三年六月二二日から死亡まで本件事故発生当時と同等の労働力があり、収入があることを前提としこれが本件事故により三分の二を失つたとする原告の請求は認容しがたい。(本件全立証によるも事故がなかつた場合のその間の労働力及び収入の程度、事故によりこれを失つた割合を明確にしがたい。)
(五)原告の本件注射後の状態及び将来の見通し等は前示認定のとおりであり、原告が本件傷害により肉体上ならびに精神上非常な苦痛を受け、又現に受けつつあることは容易に推認せられるところであり、原告は明治二二年一一月二八日生れであること前記認定のとおりであり、更に原告本人尋問の結果によると海軍工廠工員、駐留軍労務者、失対人夫として働いていたものであるが、妻と死別し、現在、娘二人とその子二人を抱えて生活し、足が不自由となつたため失対人夫として働くことができないので百姓をしているが、これも充分に働きえない状況であり生活は必ずしも裕福でないことが推認せられ、以上諸般の事情を勘案すると、その受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金一五〇、〇〇〇円を以つて相当と認める。
しからば被告は原告に対し右損害金合計金三〇三、〇〇〇円及びこれに対する不法行為による損害発生後であることの明らかな昭和三三年七月四日以降右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。よつて原告の請求はこの範囲において認容し、その余は失当であるから棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 辻川利正 裁判官 土井俊文 原田三郎)